Arai Koh's Shogi Life

将棋ライター・アライコウのブログです。将棋について書いていきます。

紅白歌合戦のゲスト審査員を務めた将棋棋士

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 年末恒例、紅白歌合戦の出場歌手について取り沙汰される時期となりました。引退を表明した安室奈美恵さんがどうなるかが個人的には気になるところです。その安室さん、実は将棋に興味がおありのようで、引退されて余裕ができたら存分に楽しんでほしいと思っています。

 さて本題に入りますが、紅白歌合戦といえばゲスト審査員も注目されます。その年に大きく活躍したり話題となった芸能人・文化人が務めるのが恒例となっています。
 そこで気になったのが、これまでゲスト審査員を務めた将棋棋士はいるのかということ。その年に大活躍し一般にも知られるほど話題となった将棋棋士……相当に限られるように思いますが、結論から言えば7人いました。
 そのものズバリ、歴代ゲスト審査員のデータベースがありましたので、ここから紹介させてもらいます。

NHK紅白歌合戦 歴代ゲスト審査員(1951年〜現在)【PRiVATE LiFE】データベース

※以下、現役棋士の肩書きは現在のもの。

【第13回(1962年)】昭和の大名人・無敵時代の大山康晴

 1962年、将棋棋士として初めて紅白のゲスト審査員を務めたのは(故)大山康晴十五世名人でした。

大山康晴|棋士データベース|日本将棋連盟

 大山十五世名人は1923年生まれ。戦前戦中に無敵を誇り、戦後も名人の座に就いていた木村義雄十四世名人を倒し、その後は兄弟子の升田幸三実力制第四代名人との激闘を経て、長きにわたり大山時代を築きます。
 1962年当時の大山十五世名人はまさに無敵時代、当時五つあったタイトルをすべて独占して五冠王となっています。まさに将棋界の顔としてふさわしい人物でありました。

【第23回(1972年)】大山を倒して名人となった「棋界の太陽」中原誠

 その大山十五世名人を倒し、将棋界の第一人者となったのが中原誠十六世名人です。

中原誠|棋士データベース|日本将棋連盟

 中原十六世名人は1947年生まれ。18歳でデビューして以来、順位戦で4年連続昇級・昇段。弱冠20歳でタイトルホルダーとなり、1972年には13年連続で名人位防衛を果たしていた大山康晴に挑戦。見事奪取に成功し新名人に。これらの活躍から「棋界の太陽」と呼ばれます。なおこれ以降、大山十五世名人が名人位に返り咲くことはありませんでした。
 紅白のゲスト審査員に選ばれたのも、この1972年のことでした。新たな時代を築いた若者として文句なしの人選だったと思います。

【第34回(1983年)&第48回(1997年)】史上最年少名人・谷川浩司

 十五世、十六世ときたら次は十七世と思われた方、正解です。3人目は十七世名人の有資格者である谷川浩司九段です。

谷川浩司|棋士データベース|日本将棋連盟

 谷川九段は1962年生まれ。史上2人目の中学生棋士としてデビューし脚光を浴びます。周囲の期待に応えるようにスピード昇級・昇段をしていき、1983年には加藤一二三名人に挑戦、奪取します。21歳での名人位獲得はもちろん最年少記録で、現在も破られていません。
 この1983年、ゲスト審査員として出演しています。こんなに若い人が名人なのか! と将棋を知らない人たちをも大いに沸かせたことでしょう。
 そして1997年には十七世名人の資格を得て、2回目のゲスト審査員に選ばれました。2回審査員となった棋士は、谷川九段が唯一です。

【第44回(1993年)】史上最年長名人・米長邦雄

 史上最年少の名人が審査員になったなら、最年長の名人はどうか? これも(故)米長邦雄永世棋聖が快挙を果たしています。

米長邦雄|棋士データベース|日本将棋連盟

 米長永世棋聖は1943年生まれ。中原十六世名人や谷川九段と比べると出世は遅いほうでしたが、史上3人目の四冠王になり、タイトル獲得数も19期(歴代5位タイ)を数え、その戦績はまさに超一流です。しかし名人位だけはなかなか獲得できずにいました。
 そして1993年、当時の中原名人を倒し、悲願の名人位に就きます。このとき49歳11ヶ月。実に7度目の挑戦にしてようやく掴んだ将棋の頂点。このドラマに全国のおじさんたちは勇気づけられました。
 50歳名人、紅白のゲスト審査員としてやはりふさわしいものだったことでしょう。

【第45回(1994年)】言わずと知れたスーパースター・羽生善治

 あの人は出てないの? と思われた方。もちろん出ています。将棋を知らない人でも名前は知っている羽生善治棋聖、1994年にゲスト審査員となっています。

羽生善治|棋士データベース|日本将棋連盟

 羽生棋聖は1970年生まれ。史上3人目の中学生棋士としてデビューするや、新人離れした勝ちっぷりで一気にスターダムにのし上がります。そして1994年には米長名人を下して初の名人位を獲得。これと合わせて史上初の六冠制覇を成し遂げました。
 ご存じのとおり、羽生棋聖はその後も将棋界の第一人者として揺るぎない地位にあります。2回目のゲスト審査員となる日も、遠くないかもしれません。
 余談ですがスケートのほうの羽生さんも、2015年のゲスト審査員になっています。

【第47回(1996年)】最強女流棋士・清水市代

 ゲスト審査員となったのは男性棋士ばかりではありません。羽生七冠王が誕生して空前の将棋ブームが起こった1996年、清水市代女流六段が出演しています。

清水市代|女流棋士データベース|日本将棋連盟

 清水女流六段は1969年生まれ。1985年に女流棋士デビューすると、瞬く間に頭角を現しタイトル戦の常連に。タイトル獲得数は現在までに43期を数え、ぶっちぎりのトップを走っています。
 1996年には当時4つだったタイトルをすべて獲得。この女流四冠独占の業績は、それまで出演した男性棋士と比較しても何ら劣るものではない偉大なものです。

【第51回(2000年)】演歌歌手としても大ヒットを飛ばした内藤國雄

 現在のところ、最後の将棋棋士審査員は内藤國雄九段です。

内藤國雄|棋士データベース|日本将棋連盟

 内藤九段は1939年生まれ。1958年にプロデビューし、タイトル獲得通算4期、順位戦A級に通算17期在籍など活躍。関西将棋界の重鎮として長きにわたり存在感を示していましたが、2015年に引退されました。また演歌歌手としても「おゆき」をミリオンヒットさせ、NHK歌謡コンサートにも出演した経験があります。
 内藤九段の戦績で特筆されるのは、2000年に達成した公式戦通算1,000勝です。現在までわずか9人しか達成者がおらず、特別将棋栄誉賞というものが贈られます。このために内藤九段はこの年にゲスト審査員に選ばれました。

今年はあの方が出演濃厚!

 2017年の将棋界は何と言っても藤井聡太四段の大活躍。彼の紅白ゲスト出演を望む声もあるようですが、さすがに未成年が出るのは難しそうです。しかし将棋界には藤井四段と同等以上に活躍した棋士がいるではないですか。そう、加藤一二三九段です。

加藤一二三|棋士データベース|日本将棋連盟

 今年6月、約63年の現役生活にピリオドを打った加藤九段。今ではすっかりバラエティタレント「ひふみん」として知られ、テレビに出版にさらには歌手デビューと、八面六臂の大活躍。将棋棋士としての偉大な実績と合わせ、タレントとしての知名度を考えると、ゲスト審査員に選ばれる可能性は高いでしょう。実際にそのような報道もすでにあるようです。

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 企画枠での出演もゼロではないとのことですが、どちらにしても大晦日に加藤九段を見られれば、ファンとしてはこの上ない楽しみです。

よろこんでいきる まいにちひふみん

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