加藤一二三九段、今年もっともブレイクした芸能人のひとりになりましたね。いや芸能人と言ってしまうのはどうかと思うのですが、世間の皆様にはすっかりバラエティタレントとして認知されています。とにかく老若男女問わず大人気の「ひふみん」。今年6月に現役引退されましたが、むしろますます生き生きしているようで何よりです。
しかし!
しかし!
将棋ファン、いや加藤ファンのひとりとしては、この方の面白おかしい一面ばかりがクローズアップされるのはあまりに口惜しい。
もっと知ってもらいたいのです。
ひふみんではなく、加藤一二三九段の偉業の数々を。
一二三にちなんで123個挙げたいところですが、さすがにそれは無理だったので、13の偉業を取り上げてみました。これらを知れば、面白いと思うだけでなくすごいと思えるようになるはずです。
- 史上初の中学生棋士としてデビュー
- ノンストップでA級八段に昇級
- 弱冠20歳で名人戦の舞台へ
- 死闘十番勝負を制し名人の座に就く
- A級通算36期在籍
- 60代でA級在籍
- 58歳差対決に勝利
- 19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの棋士と対戦
- 最年長勝利を記録
- すべての実力制名人と対戦
- 空前絶後、およそ63年の現役生活
- 歴代第3位! 通算1324勝
- 歴代第1位! 通算1180敗
史上初の中学生棋士としてデビュー
加藤一二三伝説は、デビューしたそのときからすでに始まっていました。
1954年、14歳7ヶ月でのプロ入り。
2016年に藤井聡太四段が14歳2ヶ月でデビューするまで、実に62年間にわたり守られていた記録でした。しかし、当時はそれほど騒がれなかったとのこと。*1現代と比べればメディアの発達していない時代でしたから、世間も加藤少年の才能を正確に量ることは難しかったのでしょう。まして、60年後も世間を賑わす人気者になろうなどとは。
ノンストップでA級八段に昇級
プロの将棋界でもっとも大きなウェイトを占めるのが「順位戦」と呼ばれる棋戦です。読んで字のごとく棋士の順位、すなわち格付けを決めるための戦い。上から順にA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5クラスに分けられています。A級でもっとも優れた成績を収めた棋士が、名人への挑戦権を獲得します。
順位戦は1年かけて戦われるリーグ戦です。そして新人棋士はもちろんC級2組からのスタートになります。つまりA級に昇るには最短でも4年かかるのですが、加藤少年は1958年、一度も停滞することなく最短4年でA級に昇級し、段位も八段となります。当時は名人経験者を除けば、八段が最高段位でした。
18歳のA級八段――デビュー時はそれほど騒がれなかったという加藤少年でしたが、この衝撃的ニュースは将棋界内外を驚嘆させ、神武以来(じんむこのかた)の天才と称されるようになります。ただ、当の本人は「はっきり言って僕自身はそう思ったことはありません。神武というのがいまいちよくわからなくて。実体がないわけですからね」と述べているのが面白いところ。*2
最近になって、加藤八段が当時の『サザエさん』に取り上げられていたことが話題となりました。この頃から知名度は抜群だったわけです。
昭和35年(1960)頃の『サザエさん』の一作より。(なぜか磯野家は登場していない)
— かとぅみ (@narahandrum) 2017年7月29日
二コマ目に登場する加藤八段とは、1958年に18歳で八段に昇格した、ご存知「ひふみん」こと加藤一二三氏である。
60年も前にひふみんの知名度が全国的であったことが垣間見える貴重な資料である。 pic.twitter.com/ADWKGYEdkf
弱冠20歳で名人戦の舞台へ
晴れてA級に登り詰めた加藤八段。早くも1960年、20歳のときに名人挑戦権を獲得します。これは現在も破られていない最年少記録です。
相手は「昭和の大名人」大山康晴。神武以来の天才といえど、このときは厚い壁に阻まれて名人奪取はなりませんでした。しかし敗れた加藤八段に大山名人は
「いずれ加藤さんには負かされる日が来ると思います」
と言いました。
そして1968年、名人に次ぐ大タイトルの「十段」を大山さんから奪い、その言葉は現実のものとなったのです。
この加藤一二三十段、すなわち加藤12310段は今もよくネタになります。
死闘十番勝負を制し名人の座に就く
加藤九段の将棋人生最高の瞬間は、やはり名人位獲得でしょう。ドキュメンタリー番組でもその旨語っておられます。
時は1982年、神武以来の天才と呼ばれた少年もデビューから30年近くが経過し、ベテランの仲間入りを果たそうという頃でした。久しぶりに挑戦権を獲得した加藤九段の前に立ちはだかったのは中原誠。1972年に大山康晴から名人の座を奪取し将棋界の第一人者に取って代わると、以来9連覇。まさに「中原時代」を築いていました。
加藤一二三と中原誠、竜虎の戦いはまさに死闘でした。名人戦は七番勝負なのですが、千日手、持将棋という「勝負なし」になる局面が三度発生。千日手でも持将棋でも即日指し直しとなるルールですが、当時はタイトル戦に限っては後日指し直しという規定でした。そのため4月に始まった勝負が7月末にまでもつれ込む十番勝負となったのです。
前代未聞の第10局目。加藤九段が次第に苦しい形になります(必敗の場面があったと加藤九段は語っています)。しかし中原名人にも疑問手が出て、局面は混沌としていきます。
そして勝利の女神が微笑んだのは、加藤九段でした。中原玉が詰んでいることを発見したとき、加藤九段は
「あっ、そうか!」
と叫んだといいます。
加藤九段は敬虔なクリスチャンです。神に導かれた勝利――その万感の思いが叫びとなって表れたのではないでしょうか。
A級通算36期在籍
加藤九段は名人位1期を含み、A級に通算36期在籍しています。これは大山康晴十五世名人(通算44期)に次ぐ歴代第2位の記録です。
連続で在籍したわけではなく、何度か下のクラスのB級1組に降格しているのですが、そのたびに不屈のカムバックを果たしました。
ちなみにあの羽生善治さんでさえ、現在通算25期。そろそろ50代も間近だというのに、あと10年以上も頑張らないと加藤九段の記録を超えることはできないのです。
60代でA級在籍
多くの競技と同じく、将棋も基本的には若い人が勝つものです。昇竜のごとき勢いの若手に負かされ、やがては引退に追い込まれる。それが勝負の世界の常です。
しかし加藤九段は並の棋士ではありません。大天才なのです。怒濤の勢いの若手や脂の乗った中堅に容易に屈することなく、60代でA級在籍という快挙を成し遂げています。これを達成しているのは、他に3人(大山康晴十五世名人、花村元司九段、有吉道夫九段)しかいません。
58歳差対決に勝利
2015年、加藤九段は当時の最年少棋士である17歳の増田康宏四段と対局し、これに勝利しました。実に58歳差! 年長棋士側から見て、これは最多年齢差の勝利です。
その内容は、加藤九段に危ない局面はほぼなく、完勝と言えるものでした。孫ほども歳の離れた若者を下したことについて、加藤九段は「実績が違いますから」と当然のように言うのでした。*3
なお増田四段はその後、新人の登竜門「新人王戦」を二連覇するほどの棋士に成長し、「東の天才」とも呼ばれています。
19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの棋士と対戦
加藤九段の現役の長さを示すエピソードに、3つの世紀に生まれた棋士との対局経験が挙げられます。
- 19世紀生まれ:村上真一八段(1897年生まれ)と野村慶虎七段(1899年生まれ)
- 20世紀生まれ:多数
- 21世紀生まれ:藤井聡太四段(2002年生まれ)
言うまでもなくこのような記録は加藤九段が唯一で、今後も絶対に現れないでしょう。
最年長勝利を記録
2017年1月、加藤九段は飯島栄治七段と対局し、勝利しました。これが現役最後の勝利であり、同時に最年長勝利記録(77歳0ヶ月)を達成しました。
飯島栄治七段は当時B級1組。現役棋士の中でも相当に強いということですが、この日の加藤九段は全盛期を思わせる圧勝劇で、飯島七段もTwitterで完敗だと認めざるを得ないほどでした。
今日の加藤一二三九段戦は完敗でした。私の得意の戦型で途中までは形勢不明だと思ったんですが、加藤先生の8四角から局面が一変しました。全く読みになく、64手目75馬の局面はもうダメのようです。48手目、88歩に22歩と打つしかなく、これでも自信がないですが、こうやるしかなかったです。
— 飯島栄治 (@eijijima) 2017年1月20日
すべての実力制名人と対戦
将棋界の名人は江戸時代から続く制度ですが、かつては家元制(世襲制)や推挙制で、必ずしも実力ナンバーワンの棋士が名人を名乗っているわけではありませんでした。しかし1935年からは完全実力主義、一番強い者が名人になれる制度に改まり、現在まで続く名人戦がスタートしました。
この実力制の名人になれたのは、現在までわずか13人しかいません。そして加藤九段はなんと、自身を除くすべての名人経験者との対局経験があるのです。
プロの将棋界は負ければ終わりのトーナメントがほとんどなので、シードされることが多い名人と当たるだけでも大変なことです。特に2017年2月、現在の名人である佐藤天彦さんとの対局が実現したことは印象的でした。引退間近の棋士と現名人が戦うことなど、そうそうないこと……というより他に例があるかどうか。
結果は残念ながら敗北でしたが、加藤九段にまたひとつ輝かしい棋歴が加わった瞬間でした。
空前絶後、およそ63年の現役生活
そして2017年6月、加藤九段は最後の対局に敗れて現役引退が決定しました。
現役の期間は62年10ケ月。もちろん歴代1位です。最年少でデビューし、最高齢で引退する。これほど素晴らしくカッコいい競技人生はないでしょう。
同じ中学生棋士としてデビューした羽生さんでさえ、現役年数はやっと加藤九段の半分。どれだけすごいことかわかるかと思います。
歴代第3位! 通算1324勝
加藤九段がおよそ63年の現役生活で積み上げた白星は1324。これは大山康晴十五世名人(1433勝)、羽生善治棋聖(1385勝)に次ぐ第3位の記録です。※記事執筆現在。
プロ棋士は年間20勝もすれば強豪と言われます。しかし1324勝もするには、63年毎年20勝してもまだ足りないわけです。特に若い頃勝ちまくっていたのが、この記録を達成する大きな要因となりました。
歴代第1位! 通算1180敗
勝負師にとって敗北に勝る屈辱はありません。特に将棋は自分ひとりの力だけで戦わなければならず、また運の要素もありません。それだけに負けると異常に悔しいのです。
その敗北を、加藤九段は1180も経験してきました。歴代1位の数字で、おそらくこれも誰にも破られることはないでしょう。
ところが将棋において敗北数は、必ずしも不名誉の証ではありません。というのも前述したとおり、負ければ終わりのトーナメント戦が多いため、ただ負け続けるだけでは対局数も増えず、早期の引退に追い込まれてしまいます。
つまり加藤九段は多く負けはしましたが、それ以上に第一線で多く勝ってきました。ある程度は敗北が許されるタイトル戦などの番勝負や挑戦者決定リーグ戦に多く出場したからこそ、これほどの黒星を積み重ねても現役でいられたのです。歴代1位の敗北数、これもまた超一流の証と言えます。
いかがだったでしょうか。「ひふみんの面白さ」しか知らなかった人が「加藤一二三九段のすごさ」を知ってもらえたなら幸いです。