江戸時代から「馬鹿銀」と言われていた棒銀戦法
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【前回の記事】「棒銀」という戦法名はいつから見られるようになったのか
棒銀という単語の初出はいつ頃なのか、というのを調べているわけですが、新しい史料に行き当たりました。
1909年(明治42年)に将棋新報社から刊行された『獨習速成 将棋定跡解 全』。校閲者は関根金次郎十三世名人(当時八段)です。
この中に飛車落の定跡が載っているのですが、下手方の戦法として
次に飛車の一例として「棒銀」と云ふのを出します(P131)
と、棒銀で攻められた場合の上手の応手が紹介されています。結論はというと、
此将棋は下手方が飛筋より急に仕掛けて破らんと計りたる為めに端より反対に破られたので有ります飛落は急には飛車筋より破り難き物で有ります(P133)
要するに「棒銀は基本的にダメです」と言っています。
前回の記事で、棒銀がかつて「馬鹿銀」と呼ばれていたことも紹介しましたが、この馬鹿銀というのはどうやら江戸時代から言われていたようです。
1916年(大正5年)に刊行された『定跡奥義将棋秘伝』という棋書があります。これは江戸時代の複数の定跡書を底本として編纂されたものですが、その中に『大橋家家元秘傳記』があります。そう、名人家元である大橋家の、門外不出の書です。明治維新後に家元名人制が消滅したため、明らかにされたというエピソードがあります。
本書は1931年(昭和6年)に再刊されており、これが国会図書館デジタルコレクションで公開されています。
国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online
で、飛香落の手順のひとつとして「飛香落馬鹿銀」なる項目があるのです。
銀が棒に飛車の頭より上るを馬鹿銀と云ふ普通には無き法也(P23)
やっぱりひどい言われようです(笑)。しかし飛車先に銀を繰り出していくのを棒にたとえるのは、江戸時代からあったことがわかります。
これが棒銀とも呼ばれるようになったのはいつ頃か、まだはっきりとわかりませんが、明治時代までさかのぼれることは確定しました。さらに調査を続けていきます。
【続きの記事】明治27年の棋書に「棒銀」の単語を確認できました