「棒銀」という戦法名はいつから見られるようになったのか
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私が一番好きな戦法は棒銀です。加藤一二三九段の影響が大きく、相手が居飛車でも振り飛車でもよく使っています。
で、前々から気になっていたのですが、そもそも棒銀という戦法名はいつから見られるようになったのか……ということです。飛車先に銀を繰り出していくという戦い方自体は、すでに江戸時代に見られています。
これは1642年、のちの三世名人・初代伊藤宗看が在野の強豪・松本紹尊と対局したときに現れた局面です。2六銀、まさに棒銀の形です。
この局面は『日本将棋大系2・初代伊藤宗看』に掲載されており、解説の丸田祐三九段が棒銀という単語を用いています。しかし当時においてもこれが棒銀と呼び慣わされていたかは、ちょっとわからないわけです。
棒銀という単語が初めて書名に使われたのは、おそらくこの棋書です。
1952年に加藤治郎名誉九段(当時八段)が出版した、『筋違角棒銀戦法』。この中に、このような記述があります。
棒銀なる名称は何時の時代に誰がつけたか知らないが、多分飛車と銀とが一線に並んだ形が棒状に見えるところからきたのだろう。(P111)
もうこの時点で「棒銀って戦法名は誰が考えたんだ……」と謎だったようです。
さらに時代をさかのぼって、1917年発行の関根金次郎十三世名人が著した『将棋勝敗此の一手』という棋書にも、棒銀についての記述があります。
この二六銀を棒銀と申しまして素人の能く指す手でありますが高段の棋師は之を馬鹿銀と云って多く指さぬことであります(P30)
ずいぶんひどい評価ですが、この時代はまだ棒銀の有用性に多くの人が気づいていなかった、ということでしょう。
そして1916年、土井市太郎名誉名人(当時八段)が著した『将棊秘訣 陣立くづし法』という棋書にも「平手棒銀受」という項目で記述があります。
国会図書館の検索を頼りに、ひとまずは大正5年までさかのぼれたのですが、おそらくは明治時代の棋書や新聞記事にもあるんじゃないかなと思っています。調査は今後も続けていきます。
【続きの記事】江戸時代から「馬鹿銀」と言われていた棒銀戦法