「三流は人の話を聞かない(以下略)」の調査のために国会図書館に行ってみました
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【前回の記事】出典不明の羽生善治語録、書籍から削除される方向へ?
先日、懸案の「三流は人の話を聞かない(以下略)」問題の調査のために、初めて国会図書館を訪れました。
やってきました国会図書館。 pic.twitter.com/AfB0LIPzZr
— アライコウ@ゲーム/将棋/シナリオライター (@araicreate) 2018年11月28日
まあ国会図書館で調べるくらいのことは、すでにやってる方も少なくないと思うのですが、一度自分の手でやってみたかったのです。
気になるのが「最近、羽生善治さんの本で読んだ(2003年後半時点)」という点です。しかし普通の新書や文庫にはいまだ見当たらないことを考えると、ちょっと見方を変えなければならない……そこで考えたのが「羽生さんが表紙の将棋世界ではないか」ということです。
将棋世界には羽生さんが表紙を飾っているものがたくさんあるので、それを「羽生さんの本」と捉えることも、もしかしたらあるかもしれないと。それに長く羽生ファンをやっている人でも、何年も前の将棋世界を集めるなんてそうそうしないでしょうし、見逃されてきたということはありそうです。
で、この日は2002年~2003年の将棋世界をメインに調査したのですが、何ひとつ成果はありませんでした。まあそう簡単にはいきません。
いろいろとアプローチを模索したのですが、羽生さんと対談したことのある方を調べてみるのはどうだろうと考えました。
そこでピックアップしたのが評論家・スポーツジャーナリストの二宮清純さん。羽生さんとは対談本や共著を出したこともあります。
そうすると2000年9月号の将棋世界に、ちょっと気になる記述がありました。
相撲界に「二流は型がない。一流は型がある。超一流は、どんな相撲もとれる」という言葉がありますが、それを高いレベルで実践されている。固定観念にとらわれず、常に未知の世界と対峙している。そこに羽生将棋の魅力を感じます。(将棋世界2000年9月号 P46)
第71期棋聖戦第4局、谷川浩司棋聖vs羽生善治四冠に寄せた「無言の会話」というエッセイの一部です。
うーん、惜しい(?)。ともあれこの手の文法は将棋棋士ではなく、やはり評論家やジャーナリストが好む類のものだなと再認識しました。
とても1日では調べきれなかったのですが、なんとしてもこの問題を解決したいので、また折を見て国会図書館に行ってみます。