藤井聡太六段は「秀才型の天才」?
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藤井聡太六段が活躍するたび、偉大な記録を持つ先人として引き合いに出されることの多い加藤一二三九段。その加藤九段がテレビ番組に出演し、藤井六段について言及していました。
ひふみん、藤井六段を“秀才型の天才”と評価も強気崩さず「余裕のよっちゃんなの」 https://t.co/BgoN4d9ifk #芸能ニュース #スポーツ新聞 pic.twitter.com/FzPpcxp8Aa
— スポーツ報知 (@SportsHochi) 2018年3月17日
秀才型の天才。
この表現は加藤九段がしばしば使うもので、私が初めて目にしたのは2013年刊行の『羽生善治論 -「天才」とは何か』です。
秀才型の天才とは、いったいどういうものなのか。加藤九段はこう書いています。
研究がもはやスタイルになっているタイプのことだ。「気が向いたら勉強する、したくなったら勉強するけれど、そうでないときはしない」というのではなくて、きちんと継続的に研究を続け、何があってもその時間は絶対に確保しておくようなタイプのことである。
つまりは「秀才が極まった先の天才」ということでしょうか。
天才だって間違いなく研究するし努力する、加藤九段はそうも書いています。現代の棋士――特に若手であれば毎日10時間は研究するのが当然らしいですが、その研究の吸収量や応用力が、特に高いレベルに達しているのが羽生竜王であり、藤井六段ということなのでしょう。
脳の効率が根本的に違うのかもしれませんね。同じ時間努力していても、普通の人では10しか覚えられないところを、このタイプの天才は100も200も覚えてしまう。しかも継続することをまったく苦にしないのですから、凡人はとても敵いません。「才能とは続けられること」だとは、羽生竜王もよく口にされることです。
また、もうひとつの天才として加藤九段は「対応型」というのを挙げています。
継続的ではなく、タイトル戦などの大勝負に備えて一気に集中的に研究する――この代表として紹介されているのが大山康晴十五世名人です。確かに大山名人が普段から研究熱心だったというエピソードはあまり聞かないような気がします。
ところで加藤九段自身は、どのタイプの天才なのか?
これについてはどこかで語られたのを見た記憶はありませんが、気になるところですね。